ようこそ!
世界遺産法隆寺へ

名物語り部(案内人)が語る
法隆寺の魅力

法隆寺は今から1400年以上昔、飛鳥時代に聖徳太子が建立した寺院です。
広い境内は西院・東院と二つの伽藍に分かれており、特にメインである西院伽藍は現存する世界最古の木造建築群として有名です。
しかし、今私たちが知っている法隆寺は、創建当時の姿とは少々違うようです。それは607年に建立された初代伽藍は一度全焼し、700年頃に再び造りなおされたから。
今の法隆寺はあくまで二代目。しかしそれでも飛鳥時代、そして現存する世界最古の木造建築群というのだから驚きです。

そんな法隆寺では国宝・重要文化財だけでも約200件という、
あまりに多くの文化財を所有しています。
その広い境内を歩けば、一日では見切れないほど多数の見どころがあるのです。
ここではその一部を紹介させていただきます。

みどころその1

法隆寺の七不思議

水害のおまもり

参拝の際必ず通る南大門(正門)の手前には、魚の形をしたような石「鯛石(たいいし)」があります。
これは過去に川が氾濫し、大きな洪水があった時、その水が引いた後に一匹の鯛がその場に残ったという伝説から。
その昔、大和川の氾濫で奈良盆地に被害にあっても、魚や川の水はこの石があるところまでしか来ない、つまり水害のお守りであると言われ、いつしか南大門前の鯛石を踏むと、水難に遭わないという伝説が広まったようです。

伏蔵(ふくぞう)は開かずのタイムカプセル

更に南大門を過ぎて進んでいくと、左手に縄で囲われた謎の結界が。それは「伏蔵(ふくぞう)」と呼ばれ、ただの「蔵」ではなく、地下にはとんでもない財宝が眠っている蔵と言われています。
境内にこの伏蔵(ふくぞう)は3つ存在しています。

なぜ?四本の鎌

伽藍に入り五重塔を見上げると、
そのてっぺんには何故か「四本の鎌」が刺さっています。

これら三つは全て法隆寺の七不思議。
境内をゆっくり歩きながら、そんな古からの謎に迫ってみてはいかがでしょう。

みどころその2

1300年前の柱

西院伽藍の中門・金堂・五重塔、そして回廊は飛鳥時代から変わらず残る世界最古の木造建築群です。もちろん建物本体や安置されている仏像も見どころですが、ここはあえて1300年前から残る柱に注目してください。
世界を見渡せば、実は法隆寺より古い建造物はたくさんあります。有名なものだと4000年以上からあるピラミッドや、2000年程前に造られたコロッセオなど。でも木造となると法隆寺が最古です。それは、木造りには定期的なメンテナンスが不可欠だから。木は腐るのです。

法隆寺の柱をよく見ると、何か所も修復の跡があることに気付きます。1300年という長きにわたり、たくさんの人々が法隆寺を支え続けた証ですね。

みどころその3

五重塔の内部

日本の仏塔で最も美しいと言われる法隆寺の五重塔。
どうしてもそのフォルムに目が行きがちですが、実はその内部こそが見どころです。
多くの五重塔では内部に仏像や仏画を安置します。
しかし法隆寺の場合、四方にはお釈迦様に関する物語が粘土で表現されているのです。

維摩詰居士と文殊菩薩の法論を説く

東面は、智慧を持ちすぎた人間“維摩居士”のお話。

ある日、維摩居士が病気にかかり、「誰か彼のお見舞いに行ってくれないか」とお釈迦様が仏たちに尋ねます。しかし仏たちはそれを拒否。仏たちは維摩居士に問答で負けた苦い思い出があるのです。
困るお釈迦様に声をかけたのが、智慧の仏“文殊菩薩”。三人寄れば文殊の知恵で有名ですね。人間界最強の智慧を持つ維摩居士VS仏界最強の智慧を持つ文殊菩薩。とうとうこの二人の問答が始まる!

こんな面白そうな話はない!と、一度は断った仏たちも付いていきます。約十万の仏を引き連れた文殊菩薩が維摩居士と対峙する。
果たしてその結末は!?

その他の面も全てがストーリー仕立て。是非その物語の意味を知ってから拝観いただければと思います。

みどころその4

法隆寺と葵の御紋

葵の御紋とは、あの水戸黄門でもお馴染み徳川家の紋ですね。法隆寺と徳川家。一見関係がなさそうな話ですが、実は法隆寺の非常に目立つ場所に葵の御紋が見つかります。
それは西院伽藍の中央にある大きな灯籠。そこには大きな葵の御紋がたくさん付いているのです。
これを寄進したのは徳川五代将軍“綱吉”の母、桂昌院。江戸時代初期、財政難に陥っていた法隆寺のスポンサーとなり、金堂や五重塔の大修理に尽力してくださったわけですね。
多額の寄付をしたとはいえ、一番目立つ場所に堂々と灯籠を寄進した桂昌院。

Translate »